2010年9月17日金曜日

EV1の辿った運命

某編集部の取材で訪れた1998年のデトロイト・ショーには、EV1の“バリエーション”が展示されていました。CNG、シリーズ・ハイブリッド、パラレル・ハイブリッド、そして燃料電池車両です。このプログラムが、一見行き当たりバッタリのように見えて(むろん展示車両であって、実走できるはずもありませんでしたが)、GMの先を見越した開発が垣間見られたように感じられました。具体的には、シリーズ・ハイブリッドにはガスタービン・エンジン、パラレル・ハイブリッドにはディーゼルターボ・エンジン、燃料電池にはメタノール改質型と、今になって振り返れば現実的とはいえない設定だったかもしれませんが、なにしろ、このようなコンセプトは当時はトヨタぐらいしか、公の場でコメントはしていませんでしたから、新鮮に思えたものです。トヨタはプリウス登場以後はハイブリッドを中心として、マーケットに相応しいパワートレーンの必要性について説いていきますが、当時の自動車メーカーではGMとトヨタぐらいしか、将来のパワートレーンの多様性について具体的に言及できる余裕はなかったのでしょう。 
 翌1999年には第2世代として、ニッケル水素電池を搭載したEV1が登場したことで、将来への発展を思わせました。ですが、2002年にEV1の生産は中止されてしまいます。その理由としては、前述のZEV(Zero Emission Vehicle)規制がフォードやクライスラーなどのアメリカ政府/議会に対するロビー活動によって骨抜きにされたことで、EV1を含めた電気自動車の生産が意味を成さなくなったことが挙げられます。その後、ZEVの実証実験は燃料電池搭載車による実験プログラム「カリフォリニア・フューエルセル・パートナーシップ」へと舞台を移すことになるのですか、2010年代になってふたたびEVが見直されることになるとは、当時のGMの首脳たちも自社の没落を含めて想像さえしなかったことでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿